2019.07.16
5年前にマンゴー栽培を志して新規就農した、やなぎだ園代表の柳田皓治さん。
鉢などに果樹を植えるボックス栽培法と、正薬と消毒に用いる漢方未来農法を取り入れ、理想の農業を追求している。
新規就農者でも育てやすいボックス栽培法との出合い
南国を代表する果物のマンゴー栽培に、太田市東今泉町で取り組む人がいる。たった1人で果樹の世話をしているのは、やなぎた園代表の柳田皓治さんだ。
現在、32歳の柳田さんが就農したのは、5年前。高齢者介護施設で介護職員として働いていた頃、入所者と家庭菜園を楽しんだのがきっかけだった。
次第に農業の奥深さに魅せられていった柳田さんは、就農の1年前から未経験でも栽培できる農作物はないかと模索し始める。 そんな時、目に留まったのが施設で育てている鉢植えの果樹だ。
広い土地を耕すのは、農業機械を持っていない新規就農者にとって、ハードルが高すぎる。しかし、鉢植えという限られた容量の土ならば、培養土や肥料の配合を調整しやすいのではないかと思い付いた。
さらに、好きな果物であれば、育てるのにも愛着が湧くと考えた柳田さんは、果樹、鉢植え、コンテナなど、思い付く限りのワードをインターネットで検索。鉢や植物の根を通さない特殊な布で作ったポットの中で果樹を育てる、ボックス栽培法に取り組む人々の存在を知る。
ブドウやサクランボ、桃など、さまざまな果樹を育てている人がいるなか、一番心をひかれたのは、宇都宮市でマンゴーを育てている果樹園のホームページだった。「同じ北関東でマンゴーを栽培している人がいると知り、衝撃を受けました」。
マンゴー栽培を志した柳田さんは早速、宇都宮市で果樹園を営む、駒場騏一郎さんのもとを訪問。初対面で弟子入りを志願し、駒場さんが会長を務める全国ボックス栽培研究会に入会した。 他の農園で修業するよりも、実際に経験しながら学んだ方が身に付くという駒場さんの助言をもとに、柳田さんはさっそく就農準備を開始する。祖父が所持していた休耕地を借り受け、7アール(約212坪)のビニールハウスを設置。アップルマンゴーの苗木 100本を沖縄から取り寄せた。
2014年春、介護の仕事を続けながら、マンゴー農家として第一歩を踏み出した柳田さん。 苗の植裁作業から始まり、温度や水の管理、剪定、消毒など、プライベートの時間はほとんど果樹の手入れに費やした。当時の思いを「どんなに大変でも、辛いとは思いませんでした」と話す。 就農の夢を叶えたいと、全財産をつぎ込んで挑んだマンゴー栽培。もう後には戻れないと決めた強い覚悟だけが、柳田さんの支えだった。
人々との縁に支えられ理想の農業を追求する日々
念願の果樹園を構えた柳田さんに、突然のアクシデントが起こったのは、就農1年目の冬。温室の温度管理を誤り、果樹が感染症にかかってしまったのだ。 毎朝、枯れ枝が増えていくのを見るたび、落ち込む日々。それでも柳田さんは、全国ボックス栽培研究会で出会った先輩農家に電話で相談しながら、消毒や施肥に励んだ。なんとか危機を脱し、初めて収穫した約600個の実を自宅兼作業場で販売。丹精込めて育てたマンゴーは、全て完売したという。
その後も努力を重ね、少しずつ収穫量が増えていった同園のマンゴー。介護施設を退職し、農業に集中しようと考えていた矢先、新たな問題が発生する。幼い頃から化学物質に過敏だった柳田さんは、害虫を駆除するための農薬や化学肥料の影響で、体調を崩してしまったのだ。
就農して3年目、またしても大きな壁にぶつかった柳田さんを救ってくれたのは、常連客から紹介してもらった漢方未来農法という栽培法。漢方環境安全対策普及協会の理事長を務める星野英明さんが考案したこの農法は、農薬の代わりに植物から作った生薬で消毒するというものだ。星野さんを訪ねた柳田さんは、自分が求めていた農業はこれだと確信。 生薬による消毒を取り入れると、ほどなく自身の体調が回復した。 手をかけるごとにマンゴーの果樹は丈夫になり、不思議と害虫を寄せ付けなくなったという。 5年前、高さ1メートル足らずだったマンゴーの木は現在、1メートル80センチほどに成長。横に伸びた枝は幅2メートルを超え、昨年は2600個の収穫を実現した。6年目を迎えた今シーズンは、3000個以上の収穫を目指す。
ようやくマンゴー栽培だけで生計を立てられる自信のついた今、「私が農家を諦めずに続けてこられたのも、出会った人々のおかげです」と、感謝の思いを話す。 たび重なるトラブルも、多くの人が助けてくれたおかげで乗り越えられた。これからは、農地面積の拡大や収穫時期の延長、6次産業への進出など、果てしなく広がる夢に向かい、まい進したいとほほ笑む。 間もなく、柳田さんの育てたマンゴーが出荷時期を迎える。甘くてジューシーな地元産のマンゴーをぜひ一度、味わってほしい。